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中央アフリカ共和国とは...

先日の「中央アフリカについて考える会」の挨拶文に続き、
今日は・・・ 
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中央アフリカ共和国とは...

 中央アフリカ共和国は、現地語のサンゴ語では「Ködörösê se tî Bêafrîka(コドロセセ・ティ・ベアフリカ)」、フランス 語では「République centrafricaine(レピュブリック・サントラフリケ ーヌ)」と呼ばれます。

  通称は「Centrafrique( サントラフリック)」、略称はRCAあるいはCARです。ただし 中央アフリカ共和国という名前になったのは、比較的最近の1958年です。それ以前には、ウバンギ-シャリ(Oubangui- Chari)と呼ばれていました。さらに遡れば、現在中央アフリカ共和国と呼ばれている地域には多くの部族がさまざまな王国や帝国の影響を受けながら居住していたと伝えられています。
 
  サンゴ語の「Ködörösêse tî Bêafrîka」は、コドロ(故郷)セセ(土地)・ ティ・ベ(心)アフリカという意味です。心の故郷の土地アフリカ 。とても素敵な名前ですが、現在、私たちが報道を通して知ることができる中央アフリカ共和国は「最貧国」「内戦」「虐殺」「エイズ孤児」といった悲惨な言葉で語られています。

 でも、約50年前の中央アフリカ共和国は、緑豊かな自然を活かした観光立国として世界に売り出そうとしていました。この時代の中央アフリカ共和国の様子は、196024日に放送されたNHK初の海外取材番組「アフリカ大陸を行く」(19591960)の第6集で知ることができます。当時の映像に映る西洋化されたダンスホールやウバンギ河での漁、そしてNHKの報道取材班のために祭りの日しかやらない踊りを実演する現地の人々の様子には、現在の中央アフリカ共和国の悲惨さにつながる影は一切ありません。

当時の人々が50年後の中央アフリカ共和国の姿を予想できなかったように、私たちがこれから50年後の中央アフリカ共和国について予想することはできません。私たちにできるのは、今ある情報を通して中央アフリカ共和国という国について知り、何らかの行動につなげていくことだけです。

「中央アフリカについて考える会」では、中央アフリカ共和国の地理・言葉・歴史についてまとめました。そのなかには情報として古いものや誤ったものが含まれているかもしれません。あくまで中央アフリ カ共和国を知るうえでの、ちょっとした手がかりと思ってもらえれば幸いです。
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「中央アフリカ共和国について考える会」のこれまでの活動を紹介するミニコーナーを2018年8/4(土)から開催する“旅するYogiYogiの小さな小さな絵本村3 八ヶ岳に遊びにきました”@ギャルリ イグレグ八が岳(山梨県北杜市)で設ける予定をしています。